「生きること」を考える(1991年)
今日も天候の良い日でした。陽気に誘われて,梅花を愛でに行きましたが,ちょっと早かったようです。
“春の足音”を感じられる時期になり,よい天候が続いています。このまま,“いつもの春”になってくれると嬉しいのですが,どうでしょうか。
中学3年の授業参観(1991/01/22),最後の授業は「道徳」でした。
その日の学級通信は,「『生きること』を考える」の題名でした。
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昨日の学活の時間,答えるのが難しいアンケートをお願いしました。一つは『将来(未来)の夢』。これは,自分の将来を考えて答えてくれました。今日の通信の後半にまとめてあります。心配したのは,「平凡な生活」みたいな答えが多いのではないかということでした。でも,一人一人,なかなか夢のある希望をもっている人が多いので,安心しました。
二つ目が『“「いのち」「生きること」を大切にする”ためには何をしたらいいか。何ができるか』という質問でした。普段考えていることではないし,自分のことか,社会のことか,どこに重点を置いたらいいのか分からない。どんな答え方をしたら良いのか分からない。そんな質問で困った人が多かったようです。
書いてくれた人のものをとにかくまとめました。質問の仕方も悪いし,かっこいい答えや,いい子の答えを期待したわけではありませんから,答えはさまざまな内容になっています。
しかし,読んでいくと,困りながらも,考えて答えてくれているのが分かります。また,突然の質問にも関わらず,『生きること』について,実にさまざまなとらえ方があることも分かりました。
今日の道徳では,この「生きること」について,次の文章から考えてみたいと思います。昨日考えた「生きること」とは違った方向から,自分の「生きること」や「将来」を考える機会にしてみたいと思います。
一人の男と奥さんは,高山から移住してきたばかりです。二人は畑を耕し始めましたが,雨が降らず,作物は育ちませんでした。十分な食物をもっている人は,誰もいませんでした。 奥さんは病気になり,とうとう食物がないために死にそうな状態になりました。 村にはたった一軒の食品店しかなく,店の主人は食物にたいへん高い値をつけました。夫は店の主人に,奥さんのために食物を少しわけてもらえるように頼みました。そして,後でお金を払うと言いました。 しかし,店の主人は次のように言いました。 「前金で払わない限り,何一つ食べ物はあげられない。」 男は,ずべての村人に食物を分けてくれるように頼みましたが,誰もそれだけの食物をもっていませんでした。 男は絶望的になり,奥さんのために食物を盗みに店に押し入りました。 「その夫は,そうすべきでしたか? その理由は?」(以下 アンケート結果・略) ********* 現在と1991年とでは環境が大きく変わっており,設定や内容を変える必要があるでしょうが,今の中学生は,どう考えるでしょうか。 あなたは,夫の行動をどう思いますか。 この続きは,別の機会に。