「カバディとリレーフルマラソン」(1990/10/24)
曇り空の一日,気温が上がらず“寒い日”でした。
午前中,新城市遺族会の理事会があり出席しました。
当初の予定にはありませんでしたが,“緊急の議題”があって開かれました。
組織としての対応をしていくのですが,“情”の扱いは意見がわかれます。
それを,どのように斟酌していくのか,そもそも斟酌が必要なのか,いろいろな意見が出て,予定を超えて話し合いがされました。
“最善の方策”を探りました。よろしくお願いします。
子供達は,秋の運動会・体育大会が過ぎ,発表会・文化祭・芸術祭など“文化の秋”を迎えています。
1990年10月24日の学級通信(中学3年)では「カバディとリレーフルマラソン」と題して,文化祭に向けた取り組み・準備について書いています。
この学校では,「ドリームワールド」と名付けた学級企画を行う企画(時間)がありました。
この年,学級では,2つの企画を行いました。
一回目の合唱コンクールのステージ練習が済みました。いよいよ文化祭です。金曜日には,開会セレモニーがあり,土曜日は合唱コンクールとドリームワールドがあります。 合唱コンクールへの取り組みは,三年生の中でいち早く朝夕の練習を始め,毎日の練習が成果になって表れてきています。後は,鼻に指を当てて息の出し方を身につけること,○○君(指揮者)の顔を見て頬の筋肉を緊張させずニッコリして歌うこと,これらを課題にしましょう。 準備がたいへんなのがドリームワールドです。リレーフルマラソンは,走ってくれる人を四百ニ十ニ人集めることができないと成り立ちません。係だけでなく,学級の一人ひとりが,他の学級や親,近所の人などに呼びかけていく必要があるでしょう。また,参加者が集まったら,順番を決め,だいたいの時間を連絡しなくてはなりません。また,カバディは,本格的なルールでは,かなりハードなスポーツのようです。今回の文化祭用のルールを決め,実施方法を考えていく必要がありそうです。 ところで,そのカバディですが,インド,バングラデシュなど南アジア諸国で数千年の歴史を持つ伝統ある国技として親しまれていたスポーツだそうです。もとは遊戯性の高い狩猟方法であったのが,スポーツとして成熟してカバデとなったようです。日本へは,1979年に初めて紹介され,1981年にカバディ協会が設立され,1989年に第一回の全日本大会が開かれました。そして,知ってのとおり今回のアジア大会で正式種目に加わりました。 カバディの試合方法は,だいたい次のようです。コートをニ分し,攻撃と守備を交互に行うがプレイは守備側のコート内に限られる。攻撃側は守備チームのコート内にレイダー(攻撃手)一人を送り込み,守備チームの身体にタッチを試みる。タッチを成功させて味方のコート内に戻れば得点となる。この時,レイダーが攻撃中に一回の呼吸で「カバデイ・カバディ」と明確に連呼しなければならず,息が続いている内に味方のコートに戻らなければならない。得点は,タッチ一人につき1点,攻撃が失敗したら守備チームに1点が加算される。タッチされた守備側の選手や攻撃を失敗したレイダーは退場していく。 説明書を読み,ビデオを見た限りにおいては,緻密な駆け引きがあり,一転して攻守の入れ替えがあり,知恵を必要とされる予想以上にハードなスポーツです。ルールを簡単にしていけば,文化察で楽しむことはできそうです。文化祭が近くなって(直前?),このようにカバディの説明をしていて「大丈夫?」と思いますが,インターネット検索はありませんし,電話や手紙で問い合わせ,資料がやっと届いた状況でした。(記憶では…) 今なら「SNSで共有して…」とできますが,当時は「一緒にビデオを見て…」という方法しかありませんでした。 こうした取り組みで,子供達は…。 続きは,また。 【関連】 ◇(一社)日本カバディ協会 ◇ JAKA @kabaddikawai(Twitter)