村上氏を囲んで。
今日は青空が広がった晴れの日でした。
昨日までの雨のせいか,空気は“温かく”はなっておらず,吹く風を冷たく感じました。
午後,市教委を訪問し,学校教育課長にお願い事を伝え,その後で情報交換をしました。
“今の学校”と“これからの新城教育”について話を聞き,一市民としてできることを考える機会となりました。
“「自由人」の考えたこと”は,すでに課長の考えにあることばかりで,忙しい方の貴重な時間を“無駄に”使わせてしまいました。反省しております。
ありがとうございました。
夜,千郷中学校の東北交流でたいへんお世話になった村上洋子氏(大船渡市日頃市中学校長)を囲んでの懇親会に参加しました。
村上氏は,東日本大震災当時,岩手県釜石市釜石東中学校の副校長でした。「釜石の奇跡」と呼ばれた取り組みの核となっていた方です。
その後,大船渡市立吉浜中学校,日頃市中学校で,校長として防災教育に取り組まれてみえます。
千郷中学校とは釜石東中以来,交流を続けていただいています。 新城市で咲く『奇跡のひまわり』は,吉浜中学校から送っていただいた種が花を咲かせ,それが代を重ねているものです。
講演では話されないだろう,「あの日の話」「ここだけの話」をうかがうことができました。思わず涙する参加者もいました。
村上先生,ありがとうございました。
明日は,千郷中学校で10時から講演会が開かれます。都合のつく方は,ぜひお聞きください。
1984(昭和59)年,1年生の「習いごと」について保護者の方と話題にしました。
今とは状況が大きく違っていますが,そのときの学級通信に次のように書いていました。
先週の後半,毎日帳(日記)の中に,次のような内容のものが,2,3人書いてありました。 「○○くんが休んだので,ぼくも休みました。」 これは「おけいこに行かなかった」という内容です。 小学校高学年になると,学校→そろばん→ピアノ→じゅく…などと,学校を終えてから予定をこなすのに忙しいような子も,多くいます。 一年生の今,習いごとに忙しい子はいないと思います。しかし,「始めたから最後まで…」という考えは,だんだん忙しい子を作っていくようです。良いことでも,数が多くては…。 私は,習いごとは,好きで続けられるものではなくては,身にならないと思っています。 たとえば,ピアノを習って,家でも毎日弾くのが楽しく,教えてもらうのを待っているようになっている。 そういう時は,習いに飛ぶように行くだろうし,嫌な時も休む気にならないだろうと思います。 上の文のように,“友達が行くから行く。友達が休むから休む”というのは,習いごとが,流行か,遊び場になっているからだと思います。そうだとしたら,行かせなくてもよい習いごとが,たくさんあるはずです。 小学校2年,3年…と,学年が進むにつれて,習いごとの問題が起きてくると思います。まだ,何の問題も起きていない今,ゆっくり考えてみませんか。 子供がたっぷりの時間をつかって,体をつかって遊ぶことは,無駄ではない,身になるのでは…?(1984/05/27)このとき,一年生に「忙しい子はいない」と書いていますが,次に一年生を担任した時には,「一週間に習いごとを8つしている」という子がいました。その子は特別でしたが,「習いごとのないのは,週に2日…」などと,ない日の方が少ない子が目立っていました。 今,子供達の“習いごと事情”は,どうなっているのでしょう。そして,保護者のみなさんは,どのように考えているのでしょう。