翔龍山甘泉寺 (作手の名勝と史跡めぐり)
天気のよい暖かい(暑い?)日になりました。
午前中,綺麗な青空に飛行機雲が目立ちました。昨夜までの雨が,上空の湿度(?)を“雲を生む”のに丁度良くしていたのでしょうか。知らんけど…。
『作手の名勝と史跡めぐり』(発行1997年?)からです。
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翔龍山甘泉寺
八幡神社から車で約七分ぐらいで鴨ヶ谷へ着く。県道に案内標識があるので見落とさぬようにゆっくりと進めよう。
県道を左に曲がり山道を登ると甘泉寺の駐車場に到着する。しかし,車は中腹の鴨ヶ谷白鳥神社前の広場に止めておき,山に向かって左側の山門から歩いて登ることをお勧めしたい。
杉木立の中,石段を一段一段登るのは格別の趣があろう。前日風が強かった時は足元をよく見ながら登ると,ラン科植物の〈セッコク〉を拾うことができるかも知れない。
さて,翔龍山 甘泉寺であるが,創建は応安三年(1370年)臨済正宗二十世弥天永釈禅師(後の見性悟心禅師)によって開山された名刹である。ご本尊に釈迦如来を安置した臨済宗永源寺派のお寺である。ここには文化財がたくさんある。その中の涅槃像の一幅は愛知県の指定文化財となっている。現在,作手村歴史民俗資料館に展示され,いつでも鑑賞することができる。
本堂に向かって左側に古木がある。これは,国指定の天然記念物《高野槙》である。世界一大きなコウヤマキといわれている。周りに大きな木があるが中でも一段と大きな老木である。地上1.5mの幹囲6.5m,樹高27mある。
この高野槙は,弥天永釈禅師が高野山から一本の杖をついてこの山谷にたどり着き,その杖を大地につきさした。それが根づいていまの巨木になったと伝えられている。約630年の樹齢にふさわしい樹容である。優雅と剛健を誇り,正に世界一である。この高野橋の横に,長篠の戦いで勲功のあった鳥居強右衛門勝商の墓がある。高さ約90cmの宝筐印塔である。本堂内陣には位牌があり「法名智海常通居士覚霊」,裏面には「天正三年五月一六日 鳥居強右門尉 三十六歳逝矣」と記されている。
雁峰峠を越えて岡崎まで援軍を求めて走った鳥居強右衛門の墓がここにもある。鳥居強右衛門は長篠城外の有海原で,武田軍により磔刑にされたが,夏であったので胴体を有海の新昌寺に葬り,首は奥平氏の菩提寺であった甘泉寺に祭られたという。甘泉寺をゆっくり参拝し,次は市場区の古宮城址へ向かおう。
《写真上》 翔龍山甘泉寺
《写真中》 コウヤマキ
《写真下》 鳥居強右衛門勝商の墓
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甘泉寺の高野槙について,村制施行八十周年を記念して発刊された『つくでの昔ばなし』に2話が掲載されています。
◇こうやまき (その1)
◇こうやまき(その2)
注)これまでの記事は〈タグ「史跡めぐり」〉で