「大成功!」の裏で…。(1990年)
今日も空が綺麗な晴れの日でした。
一日の気温差が大きくなり,山の色が変わり,紅葉の“美しさ”が増したように思います。
みなさん,作手で“紅葉狩り”はいかがですか。
当地の中学校も文化祭を終えたようです。
中学3年(1990年)の文化祭は,先日の「中学3年生の挑戦!「そろったぞ 422人」」で記事にしたように「カバディとリレーフルマラソン」に取り組み,世界最高を超える「1時間56分36秒」を記録するなど,“大成功”で終えました。
しかし,その一方(裏側?)で,問題も起きていました。
そのことを,学級通信(1990年)で取り上げました。
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「楽しい」「良かった」ばかりの文化祭ではなかった。そう思ったのは,次のAさんの文章を読んだ時です。
そして,それが特別のことではなくて,“何気なく”の一言がそうしているのです。なんとなく,私も,そう思うことがあ
るのです。
文化察の準備中に言ってきたように,多くの良い動きを見つける機会となりました。係になって準備をする人,手の
あいた人と呼びかけると集まってくれた人,大きな口を開こうと呼びかける人,教室の後片づけをやっていってくれる
人…,どの人も良い動きでした。
Aさんの文章の中に,「私があんたに何をした?」という一節があります。まさにその通りなのです。“何気ない一言”は,言った方は気づいていません。でも,それを受けた方は,そうではないのです。自分に移してみれば分かります。
A 今日,五時間目のとき,バネルを運び終わったあと,先生に言われて机を持ちにいく途中,男子に会ってそのことを言って行こうとしたら,後ろから「自分とうで運べばいいじゃん。」と言われた。それはもっともかもしれないけど,人に言うってことは,自分もするんだよって意味もあると思う。 なのに,そんなこと言われて,おまけに友人とニ人で横を通った時,笑われるし(バカなことしたら別にいいけど),何で人に笑われにゃいかんだっ。(何もしないで,ただ歩いていただけなのに。) 机を運び終わって教室に戻ると,いい気になって遊んどるし。“何で私らだけやらにゃいかん。”って気がしてくる。 今のままじゃ,本当に団結もチームワークもないと思う。そんなことで,だんだん嫌気がさしてきた。いくら歌うときは真剣でも,日頃,仲良くするわけでもないんだから…。 でも私は,今月中,いや来月も,たぶんこの怒れたことは忘れないと思う。だって,何かに似とるとかいって笑われて,『私があんたに何をした?』とか思って,傷つけられて…。人に聞こえんならし言っていいってもんじゃない。男子なら女子に対して何を言ってもいいって権利はないと思う。 自分がそういうことになれば,怒ったりするくせに,人にそういうことしないでほしい。私は,そんなヤツにはなりたくない。あー怒れる。この文章に書かれたことと同じ思いをした人は,女子だけでなく,男子にも,何人かいるのではないですか。その一言を言った人は,必ずしも同じ人ではないでしよう。だれにだって同しような“何気ない態度”があるのです。でも,違っているのは,それを相手に対する時,態度に出すか出さないかだと思うのです。 ちょっとした心づかいが欲しい。そう思うのは私だけですか。 ******* 今,こうした内容の文章(日記)が,学級で紹介されたり,通信に載せられることはあるでしょうか。 それよりも,子供達は,こうした文章(日記)を書いているのでしょうか。 このとき,本人の了解を得て学級通信に載せました。そして,「読んで自分が思うこと」を日記に書くように求めました。 ここから“学級通信での論議”を起こしました。掲載を拒みながらも,しっかり意見を書く子がいましたし,多くの子は掲載も了解し“発言”しました。 今も,学校での「いじめ」が問題になっています。 そこに“切り込む”のは,大人の言葉ではなく,子供の思い・言葉だと思います。 お子さんは“発信”していますか。 そして,それを“受け止める”仲間や大人はいますか。