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人日の節句。 『教員不足──誰が子どもを支えるのか』(佐久間亜紀・著)
今日は、五節句の一つ「人日の節句(七草の節句)」です。
本書のなかに、教育委員会に、教員の足りないことを尋ねた方への答えがありました。
五節句は、1月7日の「人日(じんじつ)」、3月3日の「上巳(じょうし)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」です。昔、人日の節句の朝食で、7種類の薬草が入った粥(七草粥)を食べました。「春の七草を摘み、これを神前に供えてから食べれば、その年は病気にかからない」という春の行事として、中国から日本へ伝わりました。 ◇人日の節句。(2017/01/07) ◇人日の節句(七草)。(2020/01/07) ◇人日の節句。七草の節句。(2023/01/07) ◇「人日の節句」(七草)(2024/01/07) 人日の節句、あなたは、どのように過ごしましたか。 昨年11月末に、「長野県の公立学校…病気や産育休の先生の代わりが確保できず 教員欠員は最多75人に拡大」というニュースがありました。 また、「教員採用試験で約7割が辞退…教師の《なり手不足》が深刻」というニュースもありました。 そうした状況を取り上げた(研究する)『教員不足──誰が子どもを支えるのか』(岩波新書 新赤版)を読みました。
新学期に担任の先生がいない、病休の先生の代理が見つからない……。そんな悲鳴が全国の学校で絶えない。 少子化にもかかわらず、事体が深刻化するのはなぜか。過密化する業務、増大する非正規、軽視される専門性など、問題の本質を独自調査で追究。教育格差の広がるアメリカの実態も交え、教育をどう立て直すかを提言する。
「担任になるはずだった先生が病休に入っています。本当は一週間で復帰する予定でしたが、体調が思うように回復せず、病休が延長になってしまいました。先生の名前は職員名簿にきちんとありますし、この件は教員不足ではありません」 「先生はいませんが、不足はしていません」担任の先生がいない、自習の授業が続く、それでも“教員不足”ではないのだそうです。 ちょっと“ナゾ”ですね。 本書は“教員不足”について、次の3点から検証・提案していると述べています。
○ 教員を配置する側からではなく、教員を配置される学校現場の側、つまりは子どもと教員の立場から、教員配置政策について論じた。 ○ できるだけ多くの人々に理解していただけるような言葉で表現するように努めた。 ○ 専門とするアメリカとの比較の視点を取り入れた。先の不足していないとする行政(配置する側)の見方では、実態が明らかになってきません。 それを1点目にある“子どもと教員の立場”から検証していくのは大切なことだと思います。 2点目の“理解できる言葉”を心がけてみえますが、教員配置に関わる制度が複雑で、言葉や表現を変える(易しくする)だけでは、理解につながらなかったのではと思いました。 それでも、政治や行政が、子供の学ぶ環境を充実していくことを“放置してきた”ことは伝わったでしょう。 教員不足について、児童生徒や教職員、保護者、市民、そして行政(配置する側)とでズレが生じるのは、その“捉え方(定義)”が違っているからです。本書では、
教員不足とは「各都道府県・指定都市等の教育委員会において学校に配当することとしている教師の数が正規雇用教員で充足されていないために、実際に学校に配置されている教師の数に不足が生ずる状態のこと」と定義しています。 この定義が“難しい”のでは…。でも…。 第3章で「教員不足をとらえる五つの視点」をあげています。
視点? 何を基準にした誰にとっての不足か 視点? いつの時点での不足か──三学期の不足数は一学期の約二倍 視点? どの自治体・地域の不足か 視点? どの学校種・教科の不足か 視点? どの雇用形態の不足かさて、教員不足の実態は…。 そして、解消のための方策は…。 そもそも、教員不足を生まないためには…。
教員不足の主原因が政策にあったのなら、教員不足は政策で改善していけることになる。子どもが安心して学べる環境を整備するために、(略)子どもたちのため、政策に関わる(携わる?)方に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。 そして、早急に実行・実現されることを強く願います。
目次 はじめに 第1章 教員不足をどうみるか──文科省調査からはみえないもの 第2章 誰にとっての教員不足か──教員数を決める仕組み 第3章 教員不足の実態──独自調査のデータから 第4章 なぜ教員不足になったのか(1)──行財政改革の帰結 第5章 なぜ教員不足になったのか(2)──教育改革の帰結 第6章 教員不足をどうするか──子どもたちの未来のために 第7章 教員不足大国アメリカ──日本の未来像を考える 第8章 誰が子どもを支えるのか──八つの論点 論点? 教員数の地域格差をどこまで容認するか 論点? IT技術は教員の代わりになりうるか 論点? 教員数の決定方法をどうするか 論点? 教員の待遇をどうするか 論点? 教員の数をどう確保するか 論点? 教育予算をどうするか 論点? 今後も公務員数を削減し続けるのか 論点? ケア労働を社会にどう位置づけるか おわりに 参考文献【おまけ】 以前の記事「さあ冬休み。言葉(先生へ)」(2018/12/21)で、2学期を終えた若い先生に向けて紹介した詩です。 こういうコトが、“ふるい”こととなり、若い先生、教職を目指す学生には“おせっかい”なコトで、“ウザイ”のでしょうね。 でも、読んで、感じて欲しい詩(ことば)です。
まず 愛することから始めよう そんなに難しいことではない 真っ直ぐに 目を見つめればいい きっと心を開いてくれる そこから 何かが 生まれる そして 育つ 次に 顔で笑って 心で泣こう 彼らは正直 退屈は 教師の責任 自分の未熟さを 棚から下ろして 毎日 磨いて 自分を責めろ 彼らの今日に “ もう一度” は ない そして 彼らから盗め 若さを 押し込みはだめ もっと陰険に 彼らが後でぞっとするような そう 吸血鬼のように 彼らから若さを吸い盗ろう 明日の生徒たちのために 時には 自分に正直になろう 彼らは繊細で 敏感で そして 僕の心を のぞきたがっている 恥ずかしいが きっと 彼らのやさしさに 触れることができる 彼ら自身も気づいていない やさしさに いつどんな時でも 信じていよう 彼らを 疑うことからは 何も生まれない たとえ裏切られても 信じていよう そうすれば 必ず戻ってくる はにかんだ微笑みが 彼らのもとに 最後に 彼らに 感謝しよう 充実した日々が送れたことを 喜怒哀楽のすべてを 彼らが与えてくれたことに もう一度 愛を込めて 長い人生の中で この広い宇宙で ほんの一時でも 共に過ごせたことへ 謙虚な心で ありがとうと 言おう
仕事始め。 「先生、準備は?」
“長い休み”が終わり、今日が“仕事始め”だったという方も多いことと思います。
冬休みを終えて、子供達の3学期が始まります。
新しい学習内容がありますが、年度末に向けて“一年のまとめ”、そして次に向けた“活動の始まり”の時期です。
2学期の終わり、そして3学期の始まりにあたって、“昔むかし”に、次のような点検をしたことがあります。
学びのようす、授業の進め方も変わってきていますが、次の点検をしてみませんか。
□ 朝の会。席を離れて教室の後ろに子供がいるにもかかわらず、朝の会が始まる教室。 □ 授業中。教師が説明をしている最中に、身勝手にかぶせてくる質問にていねいに答えてしまう教師。 □ 授業中。必要な道具を忘れて教室を離れ、準備室や職員室にたびたびもどる教師。 □ 放課。肩に手を置かれ、名前を呼び捨てにされているのに「友達感覚」で話を続ける教師。 □ 帰りの会。日直の声が聞こえないくらいの騒がしさの中、黙って見過ごしている教師。 □ 担任であるのに「個を大事にする視点しか」もっていない教師。 □ 担任であるのに「集団を大事にする視点」をもたない教師。 □ 変に「子供を大事に」する教師。 □ 変に「子供の言い分」を聞こうとする教師。 □ 変に「子供の身に」なりたがる教師。 □ すべてに鈍感な教師。教室環境、板書、ミスの多さ、子供の名前を間違える…。 □ 子供に通じていない「自分の理屈」に変に拘る教師。 □ 「自分のやり方」に固執していて止められない教師。 □ 教師の話し方が不明確。指示が下手。 □ 怒ってばかりいる教師。 □ 子供を脅す教師。 □ 子供に乱暴な言葉を言う教師。 □ 授業が面白くない。説明ばかりの授業。さっぱり分からない授業。だらだらとしまりのない授業。休み時間まで食い込む授業。 □ 学年の教師の助言が聞き入れられなくなって、殻に閉じこもってしまう教師。 □ 「困った、困った」と口にしながら、何ら手を打とうとしない教師。 ……先生、これまでの姿勢や態度、そして授業は、いかがでしたか。 これから改めていくことは、ありませんか。 そして、もし「変えること」があるとすれば、それは“どうして”変えるのですか。 少し視点を変えてみましょう。
□ 授業(先生)によって態度が変わる子供。 ──子供が学びに参加していますか。 ──教師がすべての子供に目を向けていますか。 □ 教師の指示がないと学習が進まない子供。 ──自ら学ぶ姿勢を身につける指導をしていますか。 ──授業中、子供は「分からない」と言えていますか。 □ “共有”に時間をかけ過ぎて、間延びした授業。 ──授業のテンポが失われていませんか。 ──できた子、分かった子の意欲が下がっていませんか。 □ グループ学習の机が離れている(くっつけない、輪にならない)授業。 ──グループ活動を取り入れている意味を分かっていますか。 ──きちんと「机をつける」(○○する)と指示する(強制する) □ 授業開始から参加できない子供のいる授業。 ──できない子供も授業の最初は期待しています。最初に“ご馳走”を用意する。 □ 教材研究のできていない授業。 ──教科の本質に沿った“楽しい学び”になっていますか。 □ 上位層の学びのない授業。 ──発展的な学力を伸ばす授業の工夫がされていますか。 ……さて、明日の授業は…。
「小寒」。 『たべるノヲト。』(松重豊・著)
今日は、二十四節気の一つ「小寒」です。
暦の上で「寒の入り」となり、今日から節分(立春の前日;今年は2月2日)までが「寒中(寒の内)」です。
寒風と降雪の時節となり、寒さが厳しくなる頃です。
これから“冬本番”となります。寒さへの備えとともに、楽しむ工夫を。
テレビやネットで「孤独のグルメ」を見つけると、愉しんで観ています。その主人公・井之頭五郎を演じるのが 松重豊 氏で、「松重=食・グルメ」のイメージがある俳優さんです。
時代劇に登場しても、どこかで食べ物とからむのではと思ってしまいます。
その松重氏の『たべるノヲト。』(マガジンハウス・刊)が書架にあり、手に取りました。
本書は、雑誌『クロワッサン』で連載されたエッセイ(2022年6月〜2024年8月)に、書き下ろしを加えてまとめられたものです。
美味しそうな50品を、8つの「おつまみ」「肉と魚」「もう一品」「麺もの」「ごはん・汁もの」「甘味」「おみやげ」に分け、最後に「おまけ」として“朝食”を載せています。
50品に知らないものはありませんが、そのうち5品は“実食したことがない”ものでした。
エッセイの題材は、著者の好物ばかりです。
一品を選ぶと、まず“見出し”があり、著者の“食の記憶”へ誘います。
例えば、「辛子蓮根」では、
俳優・松重豊が紡ぐ、“食の記憶”解禁! 記憶に残る料理には、その時代、その瞬間のドラマ、自分の人生そのものが詰まっている。 極貧時代を支えてくれた思い出の味や収録先で出会った逸品、四季折々の好物、食べものに対する素朴な疑問や秘密の食べ方、最近のブームなど、独自の視点で食にまつわる記憶を書き尽くし、本書に収録された品数は50品以上。 松重豊の手にかかれば、素朴な家庭のコロッケが名バイプレーヤーに変わり、うずらの卵を求めて町中華に行かずにはいられなくなる。 そんな食べることが楽しみになる、笑いあり、涙ありの珠玉のエッセイ。 イラストは、松重豊と親交の深い旭川在住の作家・あべみちこ。
先を見通せるはずだったのに 何か詰まっていて私は涙が出るわとありました。著者の涙は…。 本文は3ページ、そして4ページ目にあべみちこさんのイラストがあります。 「辛子蓮根」には、もちろん辛子蓮根のイラストがありますが、他に5つの“詰まってる”品が…。 どの品も、著者の思い出と、その視点(切り口)に、新たな味を愉しみ、イラストによだれが出てくる感じがしました。そして、そこに“井之頭五郎”がいるように感じたのは、著者に失礼だったでしょうか。 愉しく美味しく読みました。 どうぞ召し上がれ!
もくじ──お好きな順にお召し上がりください たべるノヲト はじめに おつまみ ほうれん草/辛子蓮根/いぶりがっこ ほか 肉と魚 焼豚/牛すじ/鯖の干物 ほか もう一品 高菜のゴマ油炒め/オムレツ/餅ピザ ほか 麺もの 鴨せいろ/天ざる/ナポリタン ほか ごはん・汁もの 土鍋ごはん/インドカレー/オニオングラタンスープ ほか 甘味 羊羹/かき氷/林檎 ほか おみやげ ニッキのおやつ/ミントのおやつ おまけ 朝食 松重豊×あべみちこ 対談【関連】 ◇松重豊オフィシャルサイト ◇あべみちこ (@4283michiko)( X ) ◇クロワッサン(マガジンハウス) ◇松重豊さん×あべみちこさん対談。エッセイ「たべるノヲト。」の舞台裏(クロワッサン オンライン) ◇松重豊さん新連載「たべるノヲト。」第1話を特別公開!(クロワッサン オンライン) ◇孤独のグルメ(テレビ東京) ◇『劇映画 孤独のグルメ』公式サイト ◇検索「しゃべるノヲト。」(YouTube)
まだ休み? 詩「一秒の言葉」 (2017年の再掲)
正月三が日が過ぎ、1月4日は「仕事始め」ですが、土曜日ですので、6日(月)が仕事始めという方が多いでしょう。
「仕事始め」とともに「御用始め」という言葉を聞いたことがありませんか。
御用始めは、各官公庁でその年の執務を始めることを言い、昔は民間の企業でも御用始めと言っていたようです。
今では、堅苦しいというイメージが強いため、ニュースなどでは「仕事始め」が使われています。
このことについて、NHK放送文化研究所は、視聴者からの質問に、
◇一秒の言葉〜SEIKO (1985年版)
心の底から素直に、「1秒の言葉」を言えてますか?
「御用納め」「御用始め」の「御用」は、本来は宮中・幕府・政府などの執務・仕事を指す言葉でしたが、放送では民間の会社などについても「御用納(始)め」という言い方が1960年代中ごろまで一般に使われていました。しかし、この言い方には、“いわゆる「お上の御用(仕事)」という古い感覚が感じられる”、“かたい官庁用語をもっと分かりやすく親しみやすいものにしてほしい”などの意見や要望もあって、今では民間の会社などに限らず、官庁の場合にもなるべく「仕事納め・仕事始め」を使うようにしています。(2000.12.01)と答えています。 2025年の仕事始め、年度末に向けた“まとめ・仕上げの3か月”に、元気に踏み出しましょう。 2013年の今日(1月4日)、勤めていた学校のホームページに「一秒の言葉」を紹介する記事を書きました。 この詩を、備忘録サイトに2012/10/17登録していますが、いつ頃、どのように知ったのか記憶にありません。
『一秒の言葉』 「はじめまして」 この一秒ほどの短い言葉に 一生のときめきを感じることがある 「ありがとう」 この一秒ほどの言葉に 人の優しさを知ることがある 「がんばって」 この一秒ほどの言葉で 勇気がよみがえってくることがある 「おめでとう」 この一秒ほどの言葉で しあわせにあふれることがある 「ごめんなさい」 この一秒ほどの言葉に 人の弱さを見ることがある 「さようなら」 この一秒ほどの言葉が 一生の別れになる時がある 一秒に喜び 一秒に泣く 一生懸命 一秒この詩は、作家、漫画家として活躍されている小泉吉宏氏が書かれたものです。 1984年にラジオCMとして制作・放送され、すぐに大きな反響を呼んだそうです。週1回1年ほど放送され、翌年にはテレビCMとなりました。 最近では、いろいろな方が“言葉の力”について言われ、「魔法の言葉」といった表現で語られることもあります。そうした話で詩を知った方も多いと思います。小学校の道徳教材として使われることもあります。 しかし、1984年当時、言葉について、このように語る方はわずかでした。それだけに、反響も大きかったのだと思います。 2008年にリメイク版が制作され、「時の記念日」(6月10日)に放送されました。 ◇一秒の言葉〜SEIKO (リメイクバージョン)
『モウ半分、クダサイ』(愛川晶・著)
正月三が日が終わり、お勤めの方は「仕事は6日から…。」と休みが続いているかもしれませんが、生活リズムは調っていますか。
「年末年始も働いて…。」という皆さんのおかげで、出先で楽しく過ごすことができ、買い物もできます。
ありがとうございます。
著者名を見て知っているような気もしましたが、読むのは初めてでした。
暗い背景の表紙に、髑髏が女性を抱く(抱きつく?)姿が描かれた怪談話を予感させる『モウ半分、クダサイ』(中央公論新社・刊)を読みました。
著者は“落語ミステリー”の第一人者で、作家生活30周年記念の作品でした。
本書は、3篇の“本当は怖い落語”をモチーフにした物語です。
最初に、見開きで“落語”が語られます。
次ページから、主人公の日常から始まります。ある日、夜のバーでスーツ姿の中年男と隣り合わせます。
初めて会う男性から「お一つ、いかがですか。」と酒を勧められ、そして“花山亭喜龍師匠”の落語会に誘われます。
その落語会のチケットは一万円と高額ですが、主人公は購入し、出かけます。
会場は鳳来亭ですが、そこは寄席ではなく、すでに閉店した中華料理店でした。
本当は怖い落語×驚愕のどんでん返し! 著者渾身の作家生活30周年記念作品 その噺を聞いてはいけない 男たちを地獄へ引きずりこむ闇の落語会 落語会へ行くと、客は自分だけ。盲目の落語家が語る「もう半分」で、誰も知らないはずの秘密が暴かれる(「モウ半分、クダサイ」)。 若い美人と浮気を楽しむはずが、大切なものを失う羽目に。「後生うなぎ」のように川へ投げ込まれたのは?(「後生ハ安楽」) 「どくろ?」の稽古が進むにつれて、おぞましい記憶がよみがえる。噺に導かれ、行き着く先は……?(「キミガ悪イ」)
指示に従い、階段を下ると、こちらも閉店済みのスナック。一応説明は受けていたが、それでも、中に入り、会場を見回した時にはぎょっとした。 内装がすべて除去された部屋の奥に、なぜか紫色の高座があり、その向こうには籐の衝立。並んでいたパイプ椅子は五脚のみで、そのどれもが無人の状態だった。この怪しい会場で、主人公は、喜龍師匠の落語を聴きます。 しかし、客は主人公だけで、他にはいません。 さらに、喜龍師匠の姿は、時間が経っているとはいえ、主人公の知る姿からはかけ離れています。 そして、語られる噺は…。 どの話の主人公も、“暗い過去”を持ち、それを思い出さないように、思い出したくないと、暮らしてきました。 年老いた喜龍師匠の噺は、その記憶に纏わりつき、引き出して…。 その噺の落ち、話の最後は…。 「お〜、怖ー!!」 怖い噺・話は、夏が似合いそうですが、本書は炬燵で暖まりながら読むのが似合うようです。 お薦めです。「あ〜、コワイ!」
目次 第一話 モウ半分、クダサイ 第二話 後生ハ安楽 第三話 キミガ悪イ 参考文献 愛川晶 著作リスト【関連】 ◇愛川晶『モウ半分、クダサイ』発売中 (@yoshioneko1)( X ) ◇Takato Yamamoto / 山本タカト (@takatoy999)(Instagram写真と動画) ◇山影麻奈 (@managuro)( X )
「初○○」
正月2日は、仕事の準備やお稽古を始めるのに縁起のよい日、“事始めの日”です。
「初○○」では、初商い、初荷、初市、初売り、初買、初袷、初懐紙、初鏡、初釜、初肥、書初め、初硯、初刷、初稽古、初肥、初席、初風呂、姫始め、初夢…があり、それらは正月2日に行うことでした。
「書初め」では、若水で墨をすり、恵方(2025年は、西南西やや西)に向かって詩歌を書きました。その詩歌は「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」という漢詩が多かったようです。
書き初めは、小正月の左義長で燃やします。正月飾りや書き初めなどを燃やす煙に乗って年神様が天上に帰って行くとされています。
「初夢」は、31日から1日の間、1日から2日の間、そして2日から3日の間と諸説あるようですが、事始めの日である正月2日の夜(2日から3日の間)に見る夢を「初夢」とするのが相応しいと思います。
古く、夢で吉凶を占い、初夢でよい夢を見てよい年になるよう願いました。
よい夢として、「一富士、二鷹、三茄子」が言われます。これは、天下人 徳川家康にあやかって出世したいという願望から、縁起がよいものとされています。
あなたの「初○○」は、何でしたか。
【再掲;「初心に帰ろう」】
以前(2017・2013年)にも紹介した、メキシカン料理チェーンCHIPOTLEのミュージックビデオ「Back to the start(初心に帰ろう)」です。
ある農場主が、産業型農場をやめて初心にかえるというストーリーです。
今の暮らし、今の生活、今の考え…、“Back to the start”するのは何かな。
※ 以前(かなり前)、カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバル「フィルム部門 グランプリ」を受賞した作品です。このミュージックビデオを含むCHIPOTLEの「カルティベイト・キャンペーン」は、「Cultivate a better world(より良い世界を作っていこう)」をテーマに展開され、ブランデッドコンテンツ&エンターテインメント部門のグランプリも受賞しています。