「小雪」 14-5 普請(1) (作手村誌57)
今日は、二十四節気の一つ「小雪」です。「わずかながら雪が降り始める頃」で、本格的な冬の到来がすぐそこに感じられる時季です。
夏の暑さが続いていましたが、今週、「一気に冬が…」という天候になりました。
秋を楽しむことがなく冬を迎えているような感じですが、今年の冬は、どのような気候になるでしょう。
暖かいと過ごしやすいですが、自然のためには適度な寒さ、低温も必要でしょう。
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『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第二編 歴史 − 第二章 中世」−「第七節 城郭概説」の紹介です。
「歴史」について、これまでに『作手村誌』(昭和35年版)の記事を紹介しています。
項目立てを変えて述べられいる本版から、執筆当時の“想い”や“願い”を感じながら、作手の歴史を辿っていきたいと思います。
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第二編 歴史 − 第二章 中世
第七節 城郭概説
(つづき)
*普請
中世になると築城のことを、城を盛るとか城郭を構えるという。古い城ほど建築が少なく土を盛上げる土工が多いからである。
土工の主たるものは塁と濠である。塁はドイ(土居)ともいい、土を以て築き上げるのが普通である。近世になると石垣が現れるがそれは国持大名の城のことで、中世城郭で石垣のあるのは県下でも松平城(豊田市)と大草城(小原村)の2城しかない。
土塁は断面梯形を呈し、上の平面を「褶」とも「馬踏」ともいう。底辺を「敷」といい、この褶と敷との距離が高さである。敷のうち褶に相当する部分より、外に出張った部分を「外法」、内へ出張った部分を「内法」といい、一般に外法より内法の方が長い。褶には塀や柵・櫓等が設けられるが、その場合褶いっぱいに建てられない。もしいっぱいに建てると土塁が崩壊するので、必ず「犬走」と称する空地を端添いに取らねばならない。この場合その内部にのこった空地を「武者走」といい、兵の往来するところである。
土塁の高さや幅は城郭規模の大小によって一様でないが、近世軍学者は高さは平面から三間(5.5メートル)、幅は褶二間(3.6メートル)、底辺八間(14.5メートル)を以て標準としている。
城塁の形は、自然の地形に添う山城では概して曲線的であり、平城では直線的である。亀山城・古宮城のそれと、市場米蔵址とを比較すれば一目瞭然である。
城塁の外部には濠がある。濠を掘った土を内部に掻上げて塁とするのが普通であるから、塁の高さは濠の規模に比例する。塁濠だけの素朴な城を「掻上の城」というのも、このことを言ったものである。濠には水濠・空濠・泥田濠の3種があり、自然の谷、河川沼湖をこれに利用することも行われた。
濠の掘り方には、断面の三角な「薬研濠」、四角な「箱濠」、薬研濠のいっぽうが直線になっている「片薬研濠」の3種がある。箱堀と薬研堀を組合せた箱薬研濠を唱える人もあるが、外見では前者との区別はむづかしい。濠は長年の間に底部が埋まり、発掘によらない限り断定は困難である。平地は「水濠」、山地は「空濠」が普通で、湿原の多い作手の城では「泥田濠」が用いられた。また濠として特に掘鑿せずとも深泥の田は、舟を浮ベることも徒渉することもできない。騎馬戦が主力であった時代には天が与えた絶好の防禦物であった。
濠と濠との間を陸で横断したものを「土橋」といい、傾斜地に水濠を設ける際、段々に高い濠の水を貯えるために設けられることが多い。また濠を渡って郭に入る場合、木橋の代りに狭い土橋を残すこともある。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
《参考》◇「地域の話題」から(リンク集)(2024/10/04)