彼岸は,サンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ,煩悩と迷いの世界である「此岸」にある者が,六波羅蜜の修行をすることで「彼岸」(悟りの世界)の境地へ到達することが出来るのだそうです。 六波羅蜜は6つの徳目「布施・持戒・精進・忍辱・禅定・智慧」を,人生において大切なこととし,彼岸は,それが実践できているかどうか見つめ直す期間だともいわれます。敬老の日,彼岸に,“生きること”を見つめ,語ってみませんか。 郷土読本『わたしたちの村 つくで』(1995・平成7年 改定発行)の「四、住みよい村づくり」からです。 ******** (六) 交通と通信 6 無線放送 わたしたちの村は,29の地区が,山の間のあちらこちらにあって,役場・農協・学校などからの急な連絡がうまくできないこともありました。この不便をなくすために,1962(昭和37)年に,作手農協有線放送局ができて,村内へのいっせい放送や通話ができるようになりました。しかし,ダイヤル式の電話が各家庭にひかれるようになってから,有線による通話は中止されて,連絡のためのいっせい放送だけになりました。 ところが,有線放送の施設や設備が古くなったため,1991(平成3)年に無線による放送システムに変わりました。 このシステムのおかげで,台風や山くずれなどの災害があったとき,線が切れて,連絡ができない,などということはなくなりました。また,移動局ならば,どこからでも連絡ができるので,たいへん便利になりました。 7 新聞・ラジオ・テレビ ラジオもテレビもないころは,世界のようすや日本の国の中のできごとなどは,新聞でしか知ることができませんでした。しかし,作手村では交通が不便だったことなどから,新聞をとる家が少なかったようです。 1937(昭和12)年,日中戦争が始まったころから,新聞をとる家がふえはじめました。今では,ほとんどの家が新聞をとっています。しかし,作手村では,夕刊は次の日の朝刊といっしょに配達されます。 日本では,1925(大正14)年に,ラジオ放送が始まり,作手村でも,昭和の初めころからラジオをいれる家がありました。そのころは,NHKの放送だけでしたが,やがてCBCなどの民間放送局ができました。 その後,村内にもラジオが普及しはじめ,1946(昭和21)年には,全部で900台ありました。今では,けいたい用のラジオ(ラジカセなど)が多くなり,ほとんどの家にあります。 1954(昭和29)年に,テレビのNHK名古屋局ができて,作手村にもテレビを入れる家が出てきました。2年後には,この村に21台のテレビがありました。そのころは,白黒の画面で,テレビのある家に集まって見せてもらいました。 1960(昭和35)年に,テレビのカラー放送が始まりました。そのために,急にテレビを入れる家がふえてきました。今では,ほとんどの家にカラーテレビがあります。また,衛星放送が始まりそれを受信している家もふえてきています。 テレビの電波がよくとどかない地域では,おたがいにお金を出しあって共同アンテナを建てているところもあります。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「わたしたちの村」〉で 注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。 注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。
敬老の日。彼岸。 4.(6-4) 交通と通信 (わたしたちの村)
雨雲に覆われた午前でしたが,午後になり青空の晴れた日になりました。
今日は,国民の祝日の一つ「敬老の日」です。
1966年に「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し,長寿を祝う日」として国民の祝日に制定され,祝日法改正で2003年より9月の第3月曜日となりました。祝日とは別に,老人福祉法により9月15日が「老人の日」,15日から21日までが「老人週間」です。
また,今日は秋の彼岸入りです。