新総裁…。 11-3 人の一生と年中行事(3) (作手村誌57)
予報されたような雨は降らず、曇りの一日でした。
午後、自由民主党の総裁選の投票・開票があり、新総裁に 石破茂 氏が選出されました。
これから、自民党のリーダー、日本のリーダーとして、どのような発信、活動をされていくのか、関心をもっていきたいと思います。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第四編 文化 − 第三章 民俗」−「第五節 人の一生と年中行事」の紹介です。
“昭和レトロが若者に人気ですが、それとは違う内容になりそうです。しかし、昔の“文化を“今”に活かしていくヒントを探ってみたいと思います。
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第四編 文化 − 第三章 民俗
第五節 人の一生と年中行事
*産育
(つづき)
〔産育の俗信〕 妊娠祈願に他の家で赤ん坊が生まれたとき、七夜に神様へ備えたご飯を貰ってきて食べるとか、子が出来ないときはタネゴ(種子)といって、他所から子供を貰ってきて育てれば子ができるなどがある。このタネゴは、実子が生まれれば他家に縁づかせ、子が出来なければ家を継がせた。閏年にはよく子が出来るという。
胎児の性別判断には、夫婦の年齢を加え、割り切れると女児、割り切れないと男児、女親の顔が変ると男児などがある。
明治初期までは堕胎、間引きの風習が相当あったようだ。妊娠初期ならばスルメを大量に食べたり、出産直後、取り上げ婆さんに頼んで絞殺(ヒガエリという)したりしたという。
母乳の出が悪いときは、下山村の和合の地蔵様に白布で乳房を作って納め、地蔵堂の前の欄干を削って煎じて飲むとよい。また鳳来町(旧三輪村)の乳岩をかき取ってきて煎じて飲むとよいとも言われた。さらに、鰹の味噌煮を食べると乳の出が多くなるとも言われている。
赤ん坊はイズミと言う藁で作った筒型の寵に入れておいた。手間のない家では年中入れてあった。
*婚姻
(1) 配偶者の選択
〔初婚の年齢〕 明治初年ごろまでは、比較的年齢も若く、男子は20歳位、女子は17歳位で結婚したようである。その後、男子は兵役の義務を負うようになり、その除隊後ということで、24、5歳位で結婚することが多くなった。しかし、女子はそう変化なく、夫婦の年齢差の大きいのもこの時期である。戦後、義務教育の年齢も引き上げられ、その上、本村には高等学校が設置されており、そこへの進学率も高かった。そんな訳で、1955(昭和30)年に入ると、女子でも20歳前で結婚することは、大変少なくなった。今では男子が24、5歳、女子が22、3歳といったころが多く、恋愛結婚も多くなり、同年齢また夫婦の年齢差が近くなっている。
〔通婚圏〕 集落内、村内、隣接の村外の集落が多かった。今でもこの傾向はそう変らぬが、交通の発達、村外での就職、そして恋愛結婚などより、県内でも遠方の地域、また県外ということも目立ち、集落内婚、血縁婚の減少とともに、このごろの大きな特徴である。一般的に通婚圏の主となっているのが、南部地域は新城市、鳳来町、中部地域は新城市、鳳来町、額田町、下山村、北部地域は設楽町、下山村、鳳来町のそれぞれ、本村に比較的近い地区である。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
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