集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

新総裁…。 11-3 人の一生と年中行事(3) (作手村誌57)

新総裁0927。 予報されたような雨は降らず、曇りの一日でした。  午後、自由民主党の総裁選の投票・開票があり、新総裁に 石破茂 氏が選出されました。  これから、自民党のリーダー、日本のリーダーとして、どのような発信、活動をされていくのか、関心をもっていきたいと思います。  『作手村』(1982・昭和57年発行)から「第四編 文化 − 第三章 民俗」−「第五節 人の一生と年中行事」の紹介です。  “昭和レトロが若者に人気ですが、それとは違う内容になりそうです。しかし、昔の“文化を“”に活かしていくヒントを探ってみたいと思います。 ********     第四編 文化 − 第三章 民俗      第五節 人の一生と年中行事   *産育 (つづき) 〔産育の俗信〕 妊娠祈願に他の家で赤ん坊が生まれたとき、七夜に神様へ備えたご飯を貰ってきて食べるとか、子が出来ないときはタネゴ(種子)といって、他所から子供を貰ってきて育てれば子ができるなどがある。このタネゴは、実子が生まれれば他家に縁づかせ、子が出来なければ家を継がせた。閏年にはよく子が出来るという。  胎児の性別判断には、夫婦の年齢を加え、割り切れると女児、割り切れないと男児、女親の顔が変ると男児などがある。  明治初期までは堕胎、間引きの風習が相当あったようだ。妊娠初期ならばスルメを大量に食べたり、出産直後、取り上げ婆さんに頼んで絞殺(ヒガエリという)したりしたという。  母乳の出が悪いときは、下山村の和合の地蔵様に白布で乳房を作って納め、地蔵堂の前の欄干を削って煎じて飲むとよい。また鳳来町(旧三輪村)の乳岩をかき取ってきて煎じて飲むとよいとも言われた。さらに、鰹の味噌煮を食べると乳の出が多くなるとも言われている。  赤ん坊はイズミと言う藁で作った筒型の寵に入れておいた。手間のない家では年中入れてあった。   *婚姻 (1) 配偶者の選択  〔初婚の年齢〕 明治初年ごろまでは、比較的年齢も若く、男子は20歳位、女子は17歳位で結婚したようである。その後、男子は兵役の義務を負うようになり、その除隊後ということで、24、5歳位で結婚することが多くなった。しかし、女子はそう変化なく、夫婦の年齢差の大きいのもこの時期である。戦後、義務教育の年齢も引き上げられ、その上、本村には高等学校が設置されており、そこへの進学率も高かった。そんな訳で、1955(昭和30)年に入ると、女子でも20歳前で結婚することは、大変少なくなった。今では男子が24、5歳、女子が22、3歳といったころが多く、恋愛結婚も多くなり、同年齢また夫婦の年齢差が近くなっている。  〔通婚圏〕 集落内、村内、隣接の村外の集落が多かった。今でもこの傾向はそう変らぬが、交通の発達、村外での就職、そして恋愛結婚などより、県内でも遠方の地域、また県外ということも目立ち、集落内婚、血縁婚の減少とともに、このごろの大きな特徴である。一般的に通婚圏の主となっているのが、南部地域は新城市鳳来町、中部地域は新城市鳳来町、額田町、下山村、北部地域は設楽町下山村鳳来町のそれぞれ、本村に比較的近い地区である。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で  注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。 【関連;自由民主党 総裁選】   ◇自民党広報(@jimin_koho)( X )   ◇自民党(@jimin.jp)Instagram写真と動画)   ◇石破茂 (@shigeruishiba)( X )   ◇高市早苗 (@takaichi_sanae)( X )