「9.11」から19年。昔話「開拓地の平松」 (続 つくで百話)
昼前,ニュースを見ようとテレビをつけていると,「緊急地震速報」が流れました。東北地方が対象ですが,警報音に身構えました。
当地での揺れはありませんでしたが,速報画面には震度4の表示が広範囲に出ています。
地震,大雨… 自然災害による被害が無いように!!
昨日,「東海豪雨から20年」で,最近の台風や前線による大雨被害の状況を踏まえ,対策や備えを伝えるニュースが各局で流れていました。
そして19年前,アメリカ同時多発テロが起きました。
各地で行われた追悼式典は,新型コロナ禍で規模を縮小したり,一部をオンラインに切り替えたりして開催されました。
アメリカ同時多発テロ事件で思い出す詩『最後だとわかっていたなら(Tomorrow Never Comes)』があり,今年も読み返しました。
◇「最後だとわかっていたなら」(Ronshi)
◇“今”が“最後”なら…(2019/03/10 集団「Emication」)
◇詩「最後だとわかっていたなら」(2017/10/12 集団「Emication」)
昨日を思い,今日を思う。そして,未来(あす)を迎える。今日を大切に生きる。
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「昔話」の項からです。
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昔話「開拓地の平松」 黒瀬 林三郎
こうやまき第一集に載っている“不思議な松”の余話です。
作手村大字黒瀬字下山の通称シバンタと呼ばれるところに,樹令約二百年と推定される見事な松の大木があります。その形状が,恰も能舞台の背景の松の絵に似て,大きな枝が長く横に伸びております。付近の人々は,地名を呼ばずに,皆んな平松といって,それが地名のように思われています。
昭和二十三年,終戦後の緊急開拓時には,自分の持山でしたが,部落の古老連から「あの松には,天狗も来たことがある由緒ある木だから,伐採せずに残してほしい。」という要望もありましたので,昔のままに残されております。開拓地の架橋の際には,当時の村助役平松万治郎氏にお願いして,平松橋と揮毫して頂き,親柱に彫刻いたしました。架橋工事は,北畑の権田組権田利一氏の施工でした。
その後,河川改修の邪魔になりましたが,無理矢理に,土木当局に,お願いして残して頂き,堤防上の中央に,今も偉容を誇っております。現在は,平松橋も永久橋となり,平松とともに,シバンタ地内に景観を添えております。
昔は,姉川の洪水時には,この付近は,遊水地帯の笹原で,一軒の人家もなく,目立たぬ存在でしたが,戦後開拓地となり,入植者十五戸,幹線道路も通り,平松橋に異彩を添える平松となりました。入植者にとっては,今日までの二十五年は,文字通り苦斗の連続でしたが,その間,朝夕眼を楽しませ心を慰めてくれた平松でした。ここを通行する人達も一様に,この平松で脚をとめ,その素晴しい偉容にみとれるようです。入植当時名古屋から来た人が,この平松に垂涎し「名古屋へ持って行けたらなァ。」と長歎息したこともありました。
昔から,この土地で草刈りや炭焼をやっていた人達は,平松に天狗が来たとか,くるげなと語り伝たえてまいったそうです。天狗のとまる木は,神木といって,これを伐ったり,枝を払ったりすると死ぬといわれ,恐れられておりました。
黒瀬開拓とは,きってもきれぬ縁の深い,この二十五年を見守ってくれた平松も近来老衰が眼だち,枯枝が多くなって昔の姿が次第にうすれて行くのは淋しい限りであります。
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【文集「こうやまき」(昭和45年発行)掲載】
◇『不思議な松』(作手村のむかし)
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