現代は、予測困難な時代と言えます。IoTをはじめとしたさまざまな技術革新、新型コロナウイルス感染症の世界的な大流行、ロシアによるウクライナ侵攻とそれに伴う世界的なエネルギー不足など、起こる前にはとても予測できなかったような大きなことが次々と起こっています。また、持続可能な開発目標SDGsが掲げられるなか、全ての世代が持続的な社会づくりに取り組んでいく必要があります。 そうした予測困難な時代を生きていく子どもたちに…次の教科書は、どのような“子供達の未来”を描き、どのように改訂されているでしょう。 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。 本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。 この項は、「小学校の校長として」から構成されています。 ******** 戦後教育史の片隅に生きる 小学校の校長として (つづき) ふたたび東郷東小学校へ ふたたび信玄坂を ──昭和二十六年四月一日の朝、飯田線三河束郷駅で下車した一人の青年教師はせっせと信玄坂を登っていった。やがて東郷村立東郷東小学校の校門の前でぱたりと立ちどまった。そして正面に向かって一礼をし、そのまま前方を凝視していた。彼の視野には、雁峯山が春の光をあびてむらさき色にやわらかくけむり、風雪にたえ年輪を重ねた校舎が三重にどっしりとかまえ、そばに老松がその校舎を暖かく見守りながら見下ろすように立っている姿が写しだされていた。この牧歌的な風景それはまさに“一幅の絵”そのものであった。おそらく彼は大きな緊張のため心のゆれが大きかっただけに、感動を覚え心のやすらぎを感じたのにちがいない。 当時の東郷村は、青年村長鈴木六郎氏の指導のもと、復興の槌音高く意気盛んで活気に溢れていた。そして東郷東小学校は名校長の誉れ高い田中清一先生のもと、学区出身の大立物が多く、教頭の伊藤輝雄、夏目登一、入山治平、今泉博、滝川武雄、中島義夫がキラ星のごとくならび、中堅若手に井上良男、高田晃、加藤富雄、鈴木佐太夫の教師たちが、そのまわりに大きな顔をしてどっかと座っていた。わずか二十四才の青年教師は、さすがにその顔ぶれに圧倒され、か弱い心臓は脈打つしごとさえ忘れがちになっていた。 その青年教師は、先輩の暖かい庇護のもとに子どもたちと、のびのびとその後、十年間の歳月を“東郷東小”で送った。その生活は彼の一生のなかでもっとも充実した楽しい時代であった。── 時移り、星変わりて、いく年が流れ去った── 昭和五十五年四月一日。彼は、ふたたび東郷東小学校の校門の前にたたずんで、二十九年前のあの“一幅の絵”を想い出していた。新しい出発にあたって、学区民の期待と激励を背にうけて、ふたたび穂陵が丘に立つ自分のしあわせをしみじみと味わっていた。そしてそれと同時に、ことの重大さに身のちぢむ思いが胸をかすめた。おもむろに校門をくぐった。そこにはやわらかい春の陽光がさんさんと目の前の”松の木”にそそいでいた。 (昭和五十五年「東」一四七号) (つづく) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。 【関連】 ◇教科別発行教科書の紹介(一般社団法人教科書協会) ◇社説:教科書検定 考える力を養う工夫が必要だ(読売新聞) ◇小学校の全149点にQRコード…文科省の教科書検定結果(リセマム) ◇大日本図書の教科書 次回検定不合格 汚職事件受け(産経ニュース)
次の教科書。 3-3.4 ふたたび東郷東小学校へ(2) (昭和に生きる)
晴れて良い天候でしたが、肌寒さを感じる日でした。そして、黄砂で景色の霞む日でした。
先月末、次年度から使用の教科書の検定結果が発表され、出版社のサイトに掲載されたり、資料が届いたりするようになりました。