14-6 普請(2) (作手村誌57)
先日、物価高を伝えていた番組で「カレーライス物価指数」という言葉が出てきました。
調べると、帝国データバンクが独自に算出している経済指標で、カレーライス1食あたりのトータルコストで示されていました。最近の上昇は、原材料の価格高騰からきているのは予想できましたが、調理コストが下降している年・時期がありました。その要因は、何だったのでしょう。
“モノの価格の上昇”と“生産者・労働者の賃金の上昇”、このバランスが良好であるには、どうすればよいのでしょう。
『作手村誌』(1982・昭和57年発行)から「第二編 歴史 − 第二章 中世」−「第七節 城郭概説」の紹介です。
「歴史」について、これまでに『作手村誌』(昭和35年版)の記事を紹介しています。
項目立てを変えて述べられいる本版から、執筆当時の“想い”や“願い”を感じながら、作手の歴史を辿っていきたいと思います。
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第二編 歴史 − 第二章 中世
第七節 城郭概説
*普請
(つづき)
城で重要なものに「水の手」がある。水がなくては人も馬も一日も生きてゆけない。その大切な水が山城や平山城ではなかなか確保し難い。稀に城中に井戸や泉のある場合もあるが、大方は池を掘り内部を赤土でたたき固め、表面を壁の如く塗り廻し、軒の雨水を一滴も余さず懸樋で導き貯めた。また大甕をいくつも並べ天水をこれに貯えることは、最も普遍的な飲料水対策であった。
また谷川の水を遠くから城中にひく、上水道を暗渠式の埋樋にする方法もしばしば行われた。谷間に水源を保護する井戸郭、水之手郭を設けたり、水櫓でこれを汲み上げたりした。攻城の際は金掘りをして坑道を掘らせ、井戸水を涸らす方法がとられ、野田城はこれで陥落している。
城に通ずる坂道、その他一般道路も難路をえらび、故意に屈曲させて敵の侵入を防ぎ、味方の拠点となるよう工夫され、階段?隧道も必要に応じて工夫された。今でも新城市街平井に2か所、市民病院前に1か所、道路が鉤の手に曲る所がある。あれを「桝形」といい、軍事目的で作った道路屈折施設の名残りで、昭和交通の難所となっている。
このほか城の内外に、矢に使う篠竹、槍の柄にする樫の木という風に、それぞれの目的にかなった植物を植え、また籠城するときの配慮から、食べられる植物を植えて置く。護岸のための竹藪、敵の進撃を阻むための枳殻や?萊のような棘の多い植物、シャガのような足をすべらせ易い草等を植えておくことがあり、これを「植物」?「植草」という。『築城記』という本に「城の外に木を植えるのはよくない。土居の中に植えるのがよい」とその配慮を示している。城内の植物は敵の目を遮ぎり城内からは外部がよく見えるという利点の上に、必要資源を確保しておく目的でもあった。
根小屋は城郭に付属した集落のことである。はじめは臨時的であった戦争が、戦国時代となると慢性化し、豪族はいつでも戦争ができる態勢をとらざるを得なくなる。そこで従来は、少数の近親者しか手元に置かなかったものが、一人でも多く集めて置こうとする。その際領主の居館は高い所にあり、家来の住居はその下方にあったので、根小屋・麓などという地名が生まれた。
城や郭の出入口を「虎口」といい、山城の自然の屈折から思いつき、曲って中部に入る桝形・虎口外の屈折施設としての「馬出」が、中世末期には現れてくる。
(つづく)
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注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌57」〉で
注2)本文内で、縦書き漢数字で書かれている数値を横書きに改めて表記した箇所、年号に西暦を追記したところがあります。
《参考》◇「地域の話題」から(リンク集)(2024/10/04)