集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

3-1.23 「奥平家の七族五老」 (作手村誌)

宮島0425。 曇りから雨、肌寒い日でした。  昼になっても気温は上がらず、“冬の寒さ”でした。 Chat-GPT を利用して、その“成果”は、こんなところにも。(Twitterより)
 Chat-GPTで精度の高い回答を得るには、適切かつ明確な指示が必要とのことで、大分うまいこと指示できるようになったんですが、最近会社で「あれ?○○さん、仕事の依頼上手くなりました?前やばかったのにwww」と言われて、学習してるのはChat-GPTじゃなくて僕の方だったんだなと認識しました。
 なるほど。確かに。  “指示をするポイント”は、AIも人もほぼ同じです。AIは繰り返しても文句を言わず、すぐに反応します。Chat-GPT を使うことで、指示や伝え方の練習ができます。  先生、教室での指示説明は、上手く伝わっていますか。  『作手村』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。  昨年の大河ドラマ鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。  『作手村』(1960・昭和35年発行)から「諸豪族勃興時代」の奥平氏についの紹介です。 ********     第二編 村の沿革と歴史     人物 奥平氏   奥平家の七族五老について  奥平家に於いては古来、七族五老と称する制あり。元、上野時代の遺法にして貞俊の三河国設楽郡作手郷移住以後復興、襲用せるに創り、歴代を通じ、公子中よひ定められたる七人の員数を充て、専ら軍陣を補翼統卒せしむるを七族という。  又、地方豪族の門、地、武勲両ながら高くして来属したる者、若しくは功績著しき器量者五人に限り、各代を経て漸次登用し軍務に参画し国政を掌理せしむるを五老と称し七族と共に家中の最高位に置き、特別を以て待遇する長臣を指す。  徳川家康、長篠籠城(第第九六代ごだいご天皇の元弘三年楠木正成千早城、第百六代正親町天皇天正三年奥平信昌の長篠城、第百七代後陽成天皇の慶長五年真田幸昌上田城、之を本邦の三名籠城と称せり)開運に当たり七族五老を引見して直接賞詞を賜わり、且つ永代拝謁、独礼の嘉例を尤し、又奥平家何国にありとも総高の三分の一或は四分の一を受くべしとの特異なる御誓文を給いたる家柄なり。  爾後干戈殆んど平定し、慶長十年家昌(信昌の長男)時代に於て、従来軍事以外無職なる七族に対し、自今五老と同じく庶政を総攪すべき御依頼により族臣、老臣の区別自然に解消し十二家を混一して大身衆と称し、是格中より五人又は六人月番交代を以て年寄、家老に補任する定めとなす。  而して三河時代に於ける最先初期の七族五老は年を経るに従いて退転断絶する者多く、僅かに族臣二家、老臣二家、これ以外は悉く新興のみ、但し十二家の数は後世に至るまで厳として越ゆるを許さず、事実は員数の内の十一家に止めたり。   ○ 最先初期の七族 (略)   最先初期の五老 (略)   天正三年長篠戦役に於ける籠城者   ○ 籠城の七族  日近領主  奥平久兵衛貞友(久兵衛貞直の子)  雨山領主  奥平修理定直(阿知波民部定基の子、四十才)  夏山領主  奥平但馬勝正(久正の孫四十才)  萩 領主  奥平周防勝次(主馬允の孫)  田代領主  奥平治左衛門勝吉(信丘の孫二十二才)  中金領主  奥平与兵衛定次(八郎二郎貞直の玄孫、二十四才)  稲木領主  奥平土佐定友(定雄の孫二十一才)   籠城の五老  川手領主  山崎善兵衛勝之信宗(高元の曽孫二十五才)  佐脇領主  生田四郎兵衛勝重(主計の玄孫二十六才)  徳永領主  兵藤新左衛門勝末(太郎八の子)   赤羽根領主  黒屋甚右衛門勝直(重氏の子)  稲木領主  夏目治衛門治貞(治員の子)   籠城の将士  城将  奥平信昌、  援将  松平康忠、松平親俊、  七族五老(前述・(略))  其の他……奥平市左衛門、奥平民部、奥平十郎左衛門、奥平七郎衛門、奥平仁右衛門、奥平三郎兵衛、奥平大隅、奥平儀兵衛、奥平覚兵衛、奥平五郎右衛門、奥平十兵衛、奥平伝五郎、奥平三右衛門、奥平長左衛門。   桑名仁左衛門、後藤五右衛門、後藤助太夫、豊田三太夫、山崎治右衛門、片岡禰右衛門、片岡助右衛門、竹下彦左衛門、阿知波七兵衛、阿知波久左衛門、阿知波孫右衛門、夏目八兵衛、細井糸右衛門、権田市右衛門、岡田五兵衛、斉藤又左衛門、桜井兵左衛門、桜井金八、川出小右衛門、菅沼治太夫、菅沼久左衛門、菅沼六左衛門、原作右衛門、天野与四郎、川合磯右衛門、波田野源次郎、中西藤九郎、景山禰兵衛、伊与田甚右衛門、伊与田清蔵、伊与田治助、鈴本金七郎、恩田金兵衛、西野喜兵衛、松平宮内右衛門。 以下雑兵。   籠城者の内戦死したもの  奥平次郎左衛門、奥平禰六郎、今泉内記、山内三郎九郎、山内平左衛門、伊与田助右衛門、伊与田市蔵、平野彦兵衛、清水善兵衛、中島久蔵、夏目市兵衛、夏目外記、夏目内記、夏目小六郎、鈴木孫左衛門、神谷左衛門、酒井利兵衛、以下鳥居強右衛門等 雑兵。   長篠籠城の兵数  奥平関係二五〇人、松平党の人数不明なるも約百五十人 総四百人(一説五百人)   鳶ヶ巣山参加の将士 (略)   奥平家の軍制 (略)
長篠0425-2。
********  注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で  注2)本誌の本文内で、小文字や2行表記等されているものを、( )で示している。