集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

河童の話(2) (つくで百話 最終篇)

桜0406。 雲が目立ちましたが,晴れの一日でした。先週の気温が高かったので,寒い感じもしますが,“いつもの春の陽気”です。  よい天候のもとで,小学校の入学式が行われました。  桜の花も,お祝いしていました。  ご入学,おめでとうございます!  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。 ********     河童の話 (つづき)   客の接待に鯇魚  同家の河童は,農作の手伝いなどもしたとは言うが,特長は来客の折に,きまって天竜川から鯇を二尾づつとってきて,台所ロヘ出しておくことであった。明和年間に筆録した「熊谷家伝記」という書物の中には,徳川時代初期の事実として,鯇魚をとってきたことが記載されている。なお同書には,田辺家のほか,同じ天竜筋の下伊那郡福島の金田家の河童のことが詳しくでている。それによると二十歳前後の若者の姿をしており,いづこともなく出てきて麦の耕作などを手伝ったことが書いてある。   蓼汁をきらう  田辺家から河童が姿を消したのは,ある時,同家の召使いが,誤ってこれに蓼汁を喰わせたためという。それで河童が苦しがって,天竜川へ向って転がり落ちて行ったがその時,屋敷の前一帯に広々と耕やされていた畑をつき崩して,ナギを起して去ったので,以来田辺家は衰運に傾いたという。   河童が鯇魚  北設楽郡津具村から,豊根村津川へ越す途中に二子島というところがある。津具川の川岸にある砂地であるが,近所に蛇渕という渕があり,大蛇が棲むと言い伝えている。夫は,この二子島が一帯の田地で,某という物持の所有であった。ある時,主人がそこで働いていると,傍らへ小憎体のものがしげしげやってくる。その様子が訝しいので,あるいは河童ではないかと疑い,試みに弁当のお菜に蓼を入れてきて,昼食の折に与えると,その者が一口喰って「しまった」と叫び,たちまち近くの蛇渕へ飛び込んでしまった。翌日そこへ行ってみると,渕の中央に巨大な魚が腹を背にして浮いている。拾いあげてみると見事な鯇魚であるので,早速家へ持ち帰ったが,肩にかつぎあげてもなお,尾の端が地を離れぬほど大きなものであった。それを一家揃って煮て喰ったところ,たちまち毒にあたって,ことごとく死んでしまい,その家も亡びたという。  この話の別の説では,その時,蓼を喰わせたのではなく,鉄砲を用意して撃ったという。そして一家の者は魚の毒にあたって死んだが,一方洪水があって,田地をことごとく荒してしまい,今の砂地になったというのである。   頭の窪みに水  前に言った蛇渕へ,ある時,村の者が栗毛馬を引いて行き,水洗いして家へ帰ってくると馬の尾に,なにやら摑っている。見ると河童であるので,直ぐ引っとらえて殺すと言うのを,一人が止めて助けてやれと言って,頭の窪みに水を入れてやると,たちまち元気になって前の渕へ逃げかえった。そのこと以来,河童のお礼心から,毎日一篭づつの魚を届けたという。いずれの家のことか詳しいことはきき漏らした。(天竜川流域各地の河童・早川孝太郎)   河童の神様  河童は全国至る所に祭れている。河童は水の神様と縁があるといわれており,九州の筑後川沿岸などは,日本でも有名な河童の伝説の豊富な所で,久留米市の水天官は河童に関係ある神社と言われている。  中部地方では,天竜川筋に河童の話が沢山伝わっている。長野県下伊那郡内には,天泊という部落が四十六ヶ所もあり,天白社という神社も二十六を数えられる。天伯というのは河童の別名であり,天伯社の祭神は河童であるといわれている。  幻の勤物である河童の爪と称するものが,一宮町の長源院の宝物となっている。昔,宝川の渕にいた河童が,洪水で流れてきたのを捕えたとの口碑がある。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で