甘泉寺開山堂 (つくで百話 最終篇)
今日も晴天で気温が上がり,暖かい一日になりました。
ただし,日中は暖かいですが,高原の夜は“冷え”て,朝は一枚多く着るような肌寒さがあありました。
今年の桜は早く咲き,すでに散り始めています。
残念ですが,“ピカピカの一年生”を迎える桜は少なそうです。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項にあるトピック的な記事です。
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甘泉寺開山堂
この堂は,応安三年九月弥天永釈大和尚によって開基された。
大和尚は,大本山永源寺開山圓應正燈國帥の弟子で,臨済正宗二十世
正慶元年八月生誕
應安十三年六月入寂 齢七十九
應永二十二年 稱光天皇から見性悟心禅帥の追号を賜った。
【甘泉寺について】(本稿とは別資料より)
翔龍山甘泉寺
臨済宗永源寺派 本尊は釈迦如来
創建は旧村誌に応安3年(1370)9月とあるが,大本山永源寺文書の『山上宗譜図』及ぴ『瑞石歴代雑記』等に応安元年に創建して,彌天永釈大和尚(見性悟心禅師)を開山第一祖とした事が記されている。
彌天永釈大和尚は,応安元年に岡崎市片寄町の広沢山天恩寺を創建し,続いて甘泉寺を,翌2年に川合の滹陀山禅源寺と手洗所の龍雲山乾徳寺を創建した。
甘泉寺は,当地の有力者加藤某が彌天永釈の徳を慕い宅地を喜捨して寺となした。
足利義満将軍から甘泉寺へ朱印高48石と山林境内20余町歩が寄進され,永徳元年(1381)伽藍殿堂が完成した。
彌天永釈は,正眼寺(長者平)の汝舟元済,慶雲寺(大和田)の高嶽元正,総持院(田原)の月潭元円,養雲寺(不明)の大極元初,良雲寺(見代)の忍山玄甫,宗堅寺(杉平)の一澗明三等を輩出創建し法徳を広め,本山の永源寺二世となったが,応永13年(1404)6月5日79歳の高齢で入寂した。
その後,天正の兵火で全焼し,同8年小堂を再建。慶長11年(1606)作手藩主松平忠明により,高8石2斗9升を寄進された。
文化財
コウヤマキ … 国天然記念物指定
涅槃図 … 県指定
鳥居強右衛門位牌及ぴ宝篋印塔 その他多数
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