集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

作業。「庚申待」(つくで百話)

花0609。 「雨は午後から…」と思っていましたが,朝から降っており降り続けました。  今日,市のクリーンフェスタに合わせ,地区のゴミ拾い花壇整備がありました。  ゴミ拾いをして集会所へ集まり,花壇の草を取り,新しい苗を植えました。小雨は降っていましたが,多くの方が参加して短い時間できれいになりました。  みなさん,お疲れさまでした。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「昔の行事」から紹介です。 ********     庚申侍 庚申待縁起 それ大法元年丑の年正月七日はかのえさるの日なり。此日天王寺民部の僧都らうせんと申す法師の所へ年の齢十七ばかりの童子来りて宣うよう「我は是大梵天帝釈よりの御使なり。扨ても日本国中に多仏霊社おおしといえども,殊に摂津国天王寺は仏法最初の寺なり。爰に民部の僧都という人あり。この僧に逢い奉って申すべきは庚申待ということを一切衆生に申し伝えてあまねく弘め給えと能々申せとの勅に依て我は只今来るなり。云々。  庚申待は,およそ一千二百年前くらい前から全国各地で行なわれているようです。庚申待を営めば三世の苦難を免れ,仕合わせを得ると宣らせ給える大梵天帝釈のお使いの童子天王寺の民部僧都に伝達されたのが起原とされております。庚申をおまつりすると五穀豊穣に恵まれるというので,特に農村に広く浸透したのでした。庚申の二,三日前から,身を清め,悪食をさけ,百姓は下肥を扱わぬことにしていました。庚申の当番の家では,座敷を掃除して清め,南側に庚申の画像を掲げ香花をたて,香をたき,洗米,菓子,果物,小豆飯を供えてまつりました。  庚申待ちにでるものは,衣服を小ざっぱりしたものに改め庚申袴としてととのえてある袴を着用しました。一同が列席しますと,先達に従って,三回立ったりすわったりして礼拝しました。それから先達の音頭で「南無青面金剛童子」と三十回,そのあと「南無大釈青面金剛童子」と三回称えます。  それがすむと南無阿弥陀仏と称名を唱えて儀式を終りました。式が終わると,用意されていた酒肴が運ばれ,賑かな宴席となりました。酒が終わると小豆の赤飯をいただいて,おひらきとなるのですが,その頃は東の空がほのぽのと明るくなり,やがて日の出となるのでした。正しくは,庚申日待といって,徹夜でやるものでした。  庚申の夜に懐妊すると三病に犯されるか,盗人の子供が生まれるといって戒しめられておりましたので,主人は徹夜で庚申待に奉仕する習慣になったものと思います。  庚申の礼拝も一回毎に起立したり正座したり,きびしいものでしたがだんだん簡略化されてしまいました。 ********  みなさんの地区には「庚申待(こうしんまち)」の習慣はありましたか。今でも行われていますか。 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で